【津田永忠】岡山が産んだ土木・建築のトップエンジニア〜土木スーパースター列伝#12
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【津田永忠】岡山が産んだ土木・建築のトップエンジニア〜土木スーパースター列伝#12

土木学会WEB情報誌『from DOBOKU』〜土木への偏った愛

皆さん、津田永忠(つだ ながただ/1640~1707)を知っていますか? 江戸時代の岡山藩で「豊かな岡山」の基盤をつくった、ぜひぜひ知ってほしい土木の英傑です。

こんにちは。横浜国立大学教授の細田 暁です。普段はコンクリートの研究をしておりますが、土木史が大好きで、勤務先の大学の全学教養科目の「土木史と文明」という熱血講義も担当しています。このfrom DOBOKUの連載「土木スーパースター列伝」では、濱口梧陵を以前に担当しました。

濱口梧陵<前編>「津波防災の日」のきっかけを作った生き神様


濱口梧陵<後編>これぞ公共事業!“生き神様"の行動哲学


津田永忠とは一体誰なのか?

さて、今日の主人公は津田永忠です。津田永忠は、江戸初期の三名君の一人と言われる池田光政公に仕えた藩士で、治水の達人でもあり、岡山後楽園や閑谷(しずたに)学校という名建築も遺した、土木建築のトップエンジニアでもあるのです。

永忠を知った2つのきっかけ

阪田先生と訪れた閑谷学校

ですが、一般には馴染みがないかもしれません。土木史が大好きで、大学で講義もしている身でありながら、私も『土木偉人かるた』に収録されている48名の偉人に数えられる津田永忠のことを2015年9月の土木学会の特別講演までは、まったく知りませんでした(汗)。

その特別講演で岡山藩郡代津田永忠顕彰会の会長を務めておられる両備ホールディングスの小嶋光信会長が永忠について話をされ、永忠の考え方がご自身の経営方針にも大きな影響を与えているとのことでした。

講演の内容に感銘を受けた私は、2016年9月に10名程度の学生を引率して岡山を訪れ、小嶋会長から3時間のレクチャーと薫陶を受け、翌日に永忠の遺した数々の土木・建築の遺産巡りをしました。大変に充実した旅でした。

さらに、書籍からも津田永忠を知る機会を得ます。土木学会の第98代会長を務められた岡山大学名誉教授の阪田憲次先生が、読書好きな私に2冊の本(ご自身の蔵書)を贈呈してくださいました。

(1) 「閑谷の日日」(松本幸子著、新人物往来社)
(2) 「岡山藩郡代 津田永忠」(柴田一著、山陽新聞社)

(1) は小説です。妻である市の目から見た永忠像が描かれています。刃物のように鋭利な頭脳と卓越した行動力を持つ永忠の人間味にも触れられており、とても味わい深い短編小説でした。(2)は上下巻の本格的な津田永忠伝です。URLを貼っておきますので、興味が湧いた方はぜひお読みください。


現存する世界最古の公立学校

閑谷学校の講堂。国宝らしく塵一つない床が印象的。

小嶋会長から薫陶を受けてから1年半あまり経った2018年の年明け、阪田先生と私の仲間たちとで岡山県備前市にある閑谷学校を訪れます。

閑谷学校とは、永忠が尊敬した岡山藩主・池田光政公の教育への強い思いを祀り続けるために建造された学問所で、江戸時代前期の寛文10年(1670)に創建され、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。

講堂は国宝です。防水・排水に徹底的な配慮がなされ、屋根には備前焼の本瓦が乗せられ、一般的な瓦の葺き方とは異なり壁土を使わないため、年月とともに風化する壁土が落ちることはなく、床の輝きが保たれるそうです。


閑谷学校のかまぼこ形の石塀

学校を取り囲むかまぼこ形の石塀は、隙間なくきっちりと石が組み合わされていて,滑らかな表面をしていて、雑草も全く生えていません。石の目地から雑草が生えないよう中に詰められた割栗石は徹底的に水洗いして種などを落として使ったそうです。当時の技術の粋を尽くした名建築であり、「日本遺産第一号」に認定されてもいます。

閑谷学校が300年以上も美しさを保ち続ける理由は、永忠の徹底的な配慮と技術へのこだわりにあったのですね。きりっと身が引き締まる1月の寒さの中、荘厳なたたずまいの閑谷学校を散策し、1年をしっかり生きようという気持ちがみなぎったのを覚えています。

閑谷学校
〒705-0036 岡山県備前市閑谷784
【開門時間】9時~17時
http://shizutani.jp/japanese/

 

降雨が少ない岡山で水を制せよ!

百間川の上流にあったパネル

数多くの永忠の業績の中で倉安川・百間川かんがい排水施設群をご紹介しないわけにはいきません。2019年に世界かんがい施設遺産に登録され、倉安川は、降雨が少ない岡山平野にあって、東の吉井川・西の旭川を結ぶ「水を活かす」用水路として1679年に完成します。

世界かんがい施設遺産
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kaigai/ICID/his/attach/pdf/32_whis.pdf

百間川は、河口に遊水地と石樋(排水樋門)を組み合わせた「水を制する用水路」として1687年に完成します。この2つの水路により、倉田新田・沖新田という2,200haを超える大規模干拓が実現し、大変な財政難に苦しんでいた岡山藩は大きく潤うことになりました。沖新田はモンスーン地帯では世界最大の干拓事業だそうです。

学生たちと訪れた百間川河口水門


日本三名園の一つ後楽園を手掛ける

2016年9月の学生たちとの津田永忠を巡る旅の最後に訪れた後楽園

永忠の偉業の一つに岡山の後楽園があります。日本三名園の一つとしてご存知の方も多いと思いますが、後楽園は、岡山藩主・綱政の発意と趣好により、長瀬問誰が山水と石組の配置を考え、永忠がその普請と財源を担当して完成したものとされています。

後楽園のつくられた場所は、城から近いという長所はあるものの、旭川の中州で苔の生えにくい砂地であって、苔の美しさを基調とする日本式庭園をつくるには決して適切な場所ではありませんでしたし、中洲なので、庭園に引く用水を得ることも容易ではありませんでした。

永忠はそのような場所を敢えて選定し、城の防備と旭川の洪水対策を兼ねたと言われています。後楽園を作る工程は、一般的な庭園作りとは異なり、高い土木技術を要する大きな事業だったわけです。実は、「後楽園はついでにつくった」という話を聞いたこともあり、ついでにつくったものが三名園になってしまうのですから、永忠おそるべし、ですね。

津田永忠は、現代の土木技術者が見習うべきお手本

奴久谷の墓にもお参りしました

熊沢蕃山の陽明学の影響を受けていた永忠は、陽明学の命題のひとつ「知行合一」の考えに基づき、民の苦しみを救うために実践を重ねました。大飢饉が発生し、全国的に百姓一揆が激発した時期でさえ,岡山藩では平穏無事を喜びあうことができたのは、庶民のために公立学校を作り、水を活かす用水路を完成させ、城の防備と旭川の洪水対策を兼ねた庭園を作ってきた永忠の志が多くの人に届いていたからなのかもしれません。

永忠は次のような言葉を残しています。

「新田開発とは、五穀のできない所を人間の力で五穀が育つところに変え、日本の食物をふやす営みである。沖新田の普請をおこせばその普請によって民百姓の働き口をつくることができ、また新田の入植者には渡世のよりどころを与えることができる。天道と人道にかなったもので天下国家・社会への奉公の営みである。自分の売名のためならば、倉田新田・幸島新田の開発で充分である。必ず成功するという保障もない沖新田に挑戦し、名実ともに失う恐れのある事業をあえて始めるはずはないではないか」

土木も建築もできる当時トップレベルのエンジニアだった永忠は、信念を貫いたために、ぶつかったり、誤解を受けることも少なくなかったようですが、その哲学や実践力は、現代の土木技術者が見習うべきお手本であり、土木の英傑に相応しい人物と言えます。

文責・写真:細田 暁
プロフィール:横浜国立大学教授 大学院都市イノベーション研究院。専門は土木工学、特にコンクリート工学。趣味の一つが歴史を学ぶことで、趣味が高じて?大学で土木史の熱血講義を2011年から提供。偉人への「活物同期」を若者たちにもいつも薦めている。


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