【田中豊】100年前の橋梁を診断!日本の橋梁界の育ての親の結果は?~土木スーパースター列伝 #13
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【田中豊】100年前の橋梁を診断!日本の橋梁界の育ての親の結果は?~土木スーパースター列伝 #13

土木学会WEB情報誌『from DOBOKU』〜土木への偏った愛

みなさまの「推し橋梁」は何ですか? 私の「推し橋梁」は…決めきれませんが、今回ご紹介する偉人『田中豊』先生が手掛けた東京・隅田川六大橋の中の清洲橋が好きです。

はじめまして。山口大学の蓮池里菜と申します。学生の時から教員になった今も、橋梁の維持管理、主に鋼橋の腐食に関する研究をしています。普段何気なく通過している橋梁ですが、ランドマークとしての意味合いも強く持つ土木構造物だと思っています。

合理的な単純性 追求した橋梁美 田中豊


『土木偉人かるた』田中豊 絵札

これは「土木偉人かるた」に書かれた絵札ですが、この絵札に沿って、隅田川六大橋を題材に、“田中豊先生がなぜ土木スーパースターなのか?”をご紹介しようと思います。まずは概略としてプロフィールから。

田中豊先生は1888年に生まれ、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業された後、鉄道院に勤務します。鉄道院とは、1908年に内閣総理大臣の管理下に設置されたもので、逓信省鉄道局と帝国鉄道庁とに分離していた鉄道業務を一元化、独立官庁として権限を強化することを目的としていました。難しいプロセスはさておき、ここから分離してできたのが運輸省、国土交通省および公共企業体日本国有鉄道、JRグループの前身になります。

さて、田中豊先生は鉄道院に勤務されながらイギリス、ドイツ、アメリカへ2年間留学しています。1923年の関東大震災の後には、帝都復興院と兼務になり、土木局橋梁課長として隅田川六大橋を手掛けることになります。また、1925年以降は東京帝国大学教授として多くの橋梁技術者を育成し、「日本の橋梁界、鋼構造界の育ての親」とも呼ばれています。

現在は、橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与されている土木学会田中賞の名称にもなっている、名実ともに日本の橋梁界のスーパースターです。


橋を架けたい!と思ったら、何をすればいい?

さてさて、多くの人はさすがに「橋を架けよう!」と実行したことはないと思いますが、「ここに橋があったらな」と思ったことありませんか? 橋梁の設計には多くの制約条件が発生します。

橋梁の架設手順は大きく分けて「設計・製作・施工」の3段階があり、たとえば河川上に架ける橋梁の場合、河川内への橋脚の建設は可能? 地盤の状態は? どれくらいの交通量・荷重に耐える必要がある? などなど…、これら数多くの条件を満たすため、橋梁形式や使用する材質、工法等を適切に選択する必要があります。さらに、条件を満たすだけでなく、経済性や景観、施工および維持管理のしやすさにも配慮した橋梁が望まれます。

私が好きな清洲橋をはじめとする東京・隅田川六大橋を架橋する際にも制約条件がありました。当時、復興局土木部長であった太田圓三は,橋梁形式について「皆デッキ型のものが宜い」と述べており、復興局は「街路橋として下路よりも上路橋が美観上好ましい」と考えていました。

左:下路橋 右:上路橋

太田圓三や復興局が推した上路橋とは、橋梁上を渡る人には主構造が見えない構造で、主張控えめな橋梁と言えますね。図の左は下路トラス橋と呼ばれるもので、右は上路トラス橋と呼びます。

墨田川六大橋のひとつ、永代橋の橋梁形式はアーチ橋

とはいえ,架橋予定の場所に望んだ形式を採用できるとは限りません。橋梁形式の選定にあたっては、特に地形・地質・環境の三点が留意され、永代橋と清洲橋では太田圓三や復興局の意向とは違って、下路橋が採用されました。

橋ひとつを架けるにも、いろいろと大変なんです。

重要文化財に登録されるに相応しい名橋の誕生!

上:ヒンデンブルグ橋(Wikipediaより) 下:清洲橋

さまざまな制約がある中で、橋梁課長として田中豊先生はどう取り組んだのでしょうか? ここに先生のスーパースターたる所以が潜んでいます。

まず、設計思想として「最も進歩せる型式の橋梁を架設したいものと考へましたる結果上部構造の主桁は一貫して板桁の型式を採用することとし…」と発言しており、当時の世界最先端の技術であり,自身が留学先のケルンで出会ったヒンデンブルグ橋で採用されていた長径間鈑桁構造を六橋すべてに採用します。ヒンデンブルグ橋は清洲橋のモデルとなっています。似ていますよね?

海外で学んだ最先端技術を母国へ持ち帰り、母国の技術発展に寄与する…とてもかっこいいです。いつの時代でも、最新の技術を取り入れるには、安全性や施工可否などクリアしなくてはならない課題が山ほどあります。学んだことの自身の仕事への応用力、そして課題を突破する技術力の高さがスーパースターたる所以だと感じました。

また、隅田川六大橋は震災からの復興による新しい帝都東京の象徴と位置付けられており、景観にも配慮した設計がなされています。六橋の中でも特に重要視されていた永代橋と清洲橋は、上下逆向きの曲線の対比がとられた対のデザインとなっているんですよ!竣工から90年以上が経過している現役の橋にも関わらず、重要文化財に登録されるに相応しい名橋です。

「リベット萌え」橋を下から見上げるのも楽しい!

永代橋を下から見上げた景色。このリベットに萌えます!

とまぁ、色々お話してきましたが、私の「推し橋梁」こと東京・隅田川六大橋の初訪問は、実は2021年(去年!)でした。最寄り駅からお散歩しながら永代橋と清洲橋を渡りまして、隅田川テラスと呼ばれる親水施設が整備されている隅田川両岸を河川に沿って歩くことができました。

ということは? 実は永代橋も清洲橋も梁を下から見上げることができるんです! 数多くの部材がリベットで接合されており、その景色は圧巻。お近くに行かれる際は、ぜひぜひ近付いてご覧ください。橋を下から見上げるのも楽しいですよ!


まもなく竣工100年!耐久性を診断してみます!

さて、永代橋と清洲橋は、あと数年で竣工100年を迎えますが、橋梁に求められる最重要項目の一つに耐久性があります。どんなに格好良くても耐久性に難あり!では、使う側としても困っちゃいますよね。

そこで、田中豊先生の「合理的な単純性を追求した橋梁美」が及ぼす耐久性はどうなのか、現代を生きる技術者だからこそ確認できることの一つとして、かなり恐れ多いのですが、果敢に調べてみました。

永代橋は、竣工40年後から多くの補修・補強・修繕が行われ、1987年からは5年に1回の定期点検も実施されるなど維持管理がなされています。また、2007年に重要文化財に登録されたことを受け、外観に変化を与えずに半永久的に寿命を持たせることが求められることとなりました。

誠に僭越ながら、私が考える評価は、点検し易さ=△ 長期耐久性確保=◎ です!ちょっと専門的な領域になってしまうので、ここでは割愛しますが、細かい考察を土木学会全国大会の発表直後に「国づくりと研修」141号(2019.3)へ寄稿しています。ご興味のある方は、手にとってみてください。

でも、重度な腐食もなく健全で、供用90年以上経過した今でも橋台と橋脚のコンクリートの健全性に問題はなく、活荷重や疲労への耐久性も現在の基準を満たしているなど、田中豊先生のスーパースターっぷりが現れた結果になったと思います。

-おわりに-
今回紹介した永代橋と清洲橋は、あと数年で竣工100年を迎えます。私も土木の道の中でも橋梁に魅力を感じた一人として、今ある歴史的な橋梁や新たに生まれる橋梁を100年を越えた後世に伝えられるよう、一層精進したいと改めて思いました。本記事で、少しでも橋梁に興味を持っていただけていたら嬉しいです。

文責・写真:蓮池里菜(山口大学創成科学研究科助教)
プロフィール
愛知県江南市出身。専門は鋼構造で、腐食防食・維持管理への機械学習の活用に関する研究を進める。まったく違う職種を目指していたが、橋梁に惹かれて今に至る。当たり前の生活を当たり前に支える橋梁のかっこよさを学生に伝えられるよう、試行錯誤の日々を過ごす。

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